感動した年賀状のお話
あけましておめでとうございます!
今年の目標として、毎日ブログを欠かさずに更新する!という揺るぎない目標を立てたのですが、初回の更新が9日という本人もびっくりな惨状に文字通り仰天してるわけですが、羊年ということもあり多めに見ていただけると、これまた幸いでございます。
実家の群馬から埼玉に戻るとポストに年賀状が入っていたのですが、その中に、こんなのが入ってました。
見た瞬間思わず吹き出してしまいました。そして、笑ったと同時に、めちゃ感動しました。
年賀状って面倒くさいところもあるじゃないですか?付き合いとかで仕方なく書かなくちゃいけないこともあると思うんですけど、枚数も多かったりすると、なかなか手間かけられなかったりしますよね?
なのに、ここまで手間をかけてくれてありがたい!という気持ちでいっぱいになりました。
ちなみに、この年賀状をくれた友人Nは、ネジが7本くらい抜けてるような奴で、「常識」という概念が完全に欠如している新人類なんです。
「歯に絹着せぬ」とはまさに彼のことで、絹どころか、一糸まとわぬ「歯が全裸」の状態で何でも口にする男なんですよ。面白ければ面白いと言うし。つまらなければ寝る男なんです。
昨年、彼の子供が生まれたお祝いに、赤ちゃん用の学習机をプレゼントしたら、
「これが、息子へのプレゼントであるならば、喜ぶか否か、お礼を言うか否かも、すなわち息子が決めることであるべし」の一点張りで、彼からは遂にお礼の言葉すら頂くことができないというハプニングに遭遇したことがありました。
そんな恥辱にまみれた苦い経験も、この年賀状一枚で許そうかなと思える気がしました。(許してはいない)
なぜ、この恥辱すらも払拭し得る感動を、この年賀状がもたらしたのかというと、この年賀状がまぎれもなく「僕だけ」のために書かれているからなんですよね。
まさに、この「ある人のため」だけにパーソナライズされていることが人を感動させるんだと思います。
これはまさにマーケティングにも通ずる考えだと思います。
例えば、あなたが28歳の男性だとしたら、「みなさんに朗報!」って広告よりも、「28歳の男性に朗報!」って広告のほうが圧倒的に目を引きますよね?
だから、誰にでもウケるような広告を作ろうとしても、逆に誰にも刺さらない広告になっちゃうんですよね。
仮に1000件のリストがあるなら、1000件に同じ広告を送るのではなく、100件ずつセグメントして、内容を変えて送るだけで反応率が大幅に改善されたりする!
普通に考えたら面倒くさいんですけど、この面倒臭さの先に「感動」がある!
ビジネスでも何でも近道はなく、面倒くさいことの積み重ねが、成果への正しいアプローチだなと、このブサイクで素敵な年賀状をみて、改めて実感したのでした。
ちなみに、もらった年賀状をよくよく見てみると
切手が季節感と干支を完全に無視。スイカとうさぎ。
僕がもらったのは年賀状じゃなくて、暑中見舞いのあまりのハガキでこさえたものでした。